長い不妊経験があったからこそ近づいた夫婦の価値観|小林 裕美子 さん

2019.5.24

小林裕美子

年齢による焦りから、子供に対する夫婦の考え方に溝が

私の夫はそもそも、「子供はいたらいいけれど、いなくてもかまわない。授からなかったら夫婦二人の生活を楽しめばいい」という考えの持ち主でした。私も結婚当初は夫と同じ気持ちだったけれど、長い不妊期間を経て30代後半になったあたりから本気で子供がほしいと思うようになり、頭の中は妊活のことでいっぱいになっていました。

いくつかの不妊治療クリニックを訪ねて毎回不妊検査をし、タイミング法を試みましたが、なかなか妊娠できずに落ち込む毎日。かといって体外受精に踏み切る勇気もない。このまま子供のいない人生を真剣に考え始めていましたが、知人の妊娠報告などに心が揺れる自分もいました。

そんな中、仕事で知り合った女性に「お子さんは?」と聞かれる場面がありました。私が「ほしいんですけど、なかなかできないんです。このまま、子供のいない人生もありかな、なんて思い始めてるんですよね」と伝えると、「少しでも子供がほしいと思うなら、何をおいても産んでおいたほうがいい。子供は宝だよ」と彼女にビシッと言われ、ハッとしました。

女性は小さな子供を育てているとは思えないほど、普段からバリバリ仕事をこなすワーキングウーマン。そんな彼女からは「子供なんて手がかかるだけだよ。子供なしの人生もありだよ」なんてなぐさめの言葉が返ってくるかと思っていたので、「子供は宝だよ」という言葉は意外でした。

そして自分の心に問い直してみると、「やっぱり私は子供がほしい」という気持ちが強く残っていることが分かりました。40歳前という年齢もあり、私は彼女にそう言われた翌日に、体外受精を行っている不妊治療クリニックに予約の電話を入れていました。けれど、そのクリニックで改めて調べてもらっても、夫婦ともに問題が見つかりませんでした。原因不明の不妊はよくあることで、私たちの場合は多分「ピックアップ障害」※1だろうと診断されました。

※1ピックアップ障害とは?卵巣から排卵された卵子が、卵管に取り込まれず、精子と受精できないこと。不妊でない女性でも卵子が卵管に取り込まれることは数回に1度と言われるが、クラミジア感染症や子宮内膜症などで卵管に異常があると、取り込まれない確率が高くなるといわれる

夫も私も体外受精しなくても、タイミングを取って待っていれば自然妊娠できると思っていました。けれど、何年も結果が出ずにピックアップ障害だろうと判断されたこと、AMH※2検査の値も実年齢よりかなり低くなっていたことから、これ以上時間をかけることは難しく、体外受精に進まないと子供を授かれる可能性がとても低いことを、私は夫に説明しました。この頃には、子供のことをめぐる夫婦の意識の溝は結構深くなっていましたが、「私はやはり子供がほしい」という気持ちも同時に伝え、理解してもらいました。

※2 AMH検査とは?
発育過程にある卵胞から分泌される、アンチミューラリアンホルモンというホルモンを血液検査で量る。卵子がどれぐらい残っているかを把握する目安になるとされる

夫の一言で冷静さを取り戻し、治療計画が立てられた

最初は体外受精にも乗り気ではなかった夫。初めての採卵を前に興奮状態になり、弾丸のように治療スケジュールの話をする私に、夫が冷静に言った一言は…「無理しないでね」でした。

不妊治療では、一回当たりの費用は決して安くはありません。最終的には高級車一台分のお金をつぎ込んだなどという知人の話も耳に入ってくるようになると、私が治療にのめり込んで、じゃんじゃんお金を使ってしまうのではないかと心配になったようです。

そこで、夫の不安を解消し二人の方向性を定めるために、治療前にクリニックのカウンセリングを受けることにしました。カウンセラーからのアドバイス通り、治療の期間、回数、予算を夫婦で話し合って決めてからスタートしようということになり、夫も気分的に少し楽になったようです。

不妊治療の相談

小さな細胞を目の当たりにし、芽生えた希望

そして、いざ、採卵の日。採精のために夫も早朝クリニックへ。採精室では、採精のプレッシャーどころか、アダルトビデオを選ぶのに時間がかかってしまうような能天気な夫でしたが、後に診察室に呼ばれ、私たちの体から取り出された卵子と精子の画像を目の前にしたときは、なんとも言えない感動がありました。「ここから新しい命が産まれる」。そんな実感が、初めて私たちに湧いてきた瞬間でした。

「不妊治療をしなければ、こんな経験はなかなかできないことだよね」「きっと上手くいくよ。すくすく育って、ぼくたちの赤ちゃんになるよ」。まだどうなるか分からない小さな細胞だけれど、私たちはすでに、その受精卵に深い愛着と希望を持っていました。

一度目の移植は失敗に終わりました。その結果を夫に報告すると、「次、頑張ろう」。夫の口から、自然とそんな言葉が出るようになっていました。

不妊に悩んだ期間は自分やパートナーと向き合えた時間

幸い私たちは二度目の採卵、移植で妊娠し、子どもを授かることができました。結婚から妊娠までの不妊期間は12年あまり。私も当初は夫と同じように体外受精に踏み切れず、治療のステップアップがなかなか進まずに途中で通院を中断したり、妊娠できずにモヤモヤしたり、といった期間が長くなってしまいました。

「もっと早く体外受精に踏み切っていれば…」。そういう意見もあるかもしれませんが、当時の私にはできませんでした。無理矢理先に進もうとしても、心と体がちぐはぐになって苦しくなっていたでしょう。

結局私を決意させたものは、40歳前という妊娠が難しくなるとされる年齢でしたが、治療中で今の状態にストレスを感じている人がいるとしたら、そのやり方はそのときの自分に合っていないのかもしれません。そんなときは「一旦お休み」。そう決めて、趣味や仕事に没頭するのもいいと思います。実際、私には仕事をして気を紛らわすことが、妊活のストレスを回避する一番効果的な方法でした。

不妊治療をしても、もし望んだ結果になっていなかったとしたら。私たち夫婦は、年齢的にも子供のいない人生を覚悟していたので、そうなった場合の生活スタイルも、ある程度イメージはできていました。「今、私は子供を授かることができて最高に幸せ。でも授かることができなくても、私たち夫婦は最高に幸せな人生を歩めていたはず」。そう思えるようになったのは、自分とパートナーが真剣に向き合える貴重な時間を、長かった不妊経験や治療体験が与えてくれたからだと思います。


<小林 裕美子 さん>

漫画家・イラストレーター。東京造形大学デザイン科卒業。実用書や雑誌、新聞、WEB等で幅広く活躍。不妊や介護をテーマにした作品も多く、近著には自身の不妊経験を綴った「それでも、産みたい」(新潮社)などがある。「うさんた」シリーズなど、児童書も手がけている。